空色ノート

中小路昌和のBLOGです。

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-恋バイ③-  


恋愛バイアス


-11-


「どうして此処に?」
七瀬は言った。
「思い出の場所でしょ?」
女性は微笑とともにボール投げ返す。
「七瀬さん・・・変わらない」
「そうかな・・・平井のほうこそ変わらないよ」
七瀬と平井は二十年ぶりに河川敷に立っていた。七瀬は、またボールを投げ返した。今度はゆっくりと、弧を描くように。


-12-


七瀬と平井の早朝ロードワークが始まった。まだ日が昇りきらない時間。こんな早朝に起きることは滅多にない。対外試合がある時か、早朝練習がある時くらいだ。それでも思考は不思議と冴えている。前夜はあまり寝付けなかったはずなのに。
勢いよくベッドを抜け出すと、顔を手早く洗い、河川敷まで自転車を飛ばす。朝の匂いがする。悪くない気分。いや、結構清々しいかも。
平井紗希はすでに河川敷にいた。朱色のジャージに、肩から鎖骨にかかった少し茶色い髪が、朝の光を浴びて綺麗に見えた。軽い挨拶を交わした後、七瀬を先頭に、平井が後ろから自転車で着いてくる、という形でロードワークがスタートする。

ロードワーク中に会話というものはほとんどない。それでも時々「あと少し、頑張って」とか「ペース、落ちてるよ」という彼女の声が、不思議と七瀬に力を与えた。見張られているという緊迫感からなのか、思ったよりも快調なペースで走りこむ。そしてそんな日々を過ごしながら迎えた大晦日の朝、七瀬は彼女から初詣に誘われた。

街の中心からさほど離れていないせいか、峯川神社は初詣になると参拝客で溢れる。人ごみは好きではない七瀬だが、不思議と初詣の人ごみや賑わいというのは嫌いではない。あ、そう言えばこの神社は縁結びのご利益があるんだっけ。若いカップルの姿が目に付くような気もする。新年早々お暑いことで・・・七瀬は少し可笑しくなった。
人ごみでごった返した最寄の駅で平井と待ち合わせると、どことなく緊張感を覚えながら峯川神社へと足を向ける。
「晴れ着なんだね、今日」
「うん」

平井紗希は正月らしく晴れ着で駅に現れた。たくさんの参拝客にもまぎれないほどの存在感を彼女は放っていた。確かに晴れ着も綺麗だし、何ていう模様か見当もつかないけれど、職人の見事な仕事ぶりを感じさせる。けれどその晴れ着を際立たせているのは彼女の方だと思う。そんなことは口に出して言う柄でもないし、関係でもないので当然黙っていた。
参拝を済ませ、おみくじでも引こうか、と言ったら断られた。神頼みは好きではないらしい。それなら何で初詣に?とも思ったが、どうでもいいような気がして、これにも黙って頷いた。境内を出ると、露店が並んでいた。七瀬としてはテンションが上がったが、彼女は特別何も変わらない様子で「お茶を飲みましょう」と言った。

平井の飲むお茶は本物だった。見たこともないような装飾が施された和菓子に、少し泡を含んだ緑色の液体。千利休だ。七瀬はさすがに身構えた。しかも千二百円・・・高すぎだっつーの。
「なぁ・・・これ、何回まわすの?」
七瀬は小声で平井紗希に話しかけた。
七瀬と平井の通された座敷は個室だった。適当に飲んじゃえばいいか、とも思ったが、無作法があった瞬間に襖が開いて「無礼者!」という怒号の元に、お手つきされそうな予感があった。無礼じゃないの、無知なだけ・・・と言い訳まで考え始めている。
彼女は、くすっと少しだけ笑うと、手にしていた器を持って一気に飲み干した。
「お、おい、まわさなくてもいいのかよ・・・しかもグイ飲みはまずいんじゃないの?」
七瀬は驚いて彼女の顔を見た。
「誰も見てないよ」
彼女はそう言うと、これまたおごそかな空気をかもし出している和菓子を、一口で口の中に放り込んでしまった。
「ね?」
彼女は悪戯っ子みたいな笑顔を見せた。当然、初めて見る表情だった。

「お正月に着る晴れ着もいいけど、成人式に着る晴れ着?振袖っていうのかな?あれを着るのが夢なの」
平井紗希は、どこか遠くを見るような顔で言った。
帰り道、行きかう人々の雑踏の中、七瀬には彼女の姿と声だけが鮮明に彩られている。まるで時間が止まっているみたいな感覚。
「大げさだなぁ。もう二・三年もすれば着られるよ」
七瀬は精一杯普段通りの自分を演出する。
「あとニ・三年で大人になるんだよ?あたしは想像もできないな。七瀬さんは想像できるの?」
彼女がこちらを見る。
「したこともないです」即答。
「やっぱり。えっとね、子供の頃にテレビで成人式の映像が流れていたのを見たの。子供心に素敵だなって思った。あたしも大人になったら、こういう素敵な女の人になっていたいなって。女の人が一番素敵で輝いてる瞬間って感じがして胸がドキドキしたの。だから、ちっぽけかもしれないけど、それがあたしの夢」
七瀬は何も言わなかった。君ならきっと素敵で立派な大人になれるよ、と心で思った。そして出来ればそれを見てみたいな、とも思った。駅の改札が近づいてくる。仕方ない。二度手間だけど、あとでもう一度、お参りに行ってお願いしてこよう。


-13-


酒井は、いつものように朝のロードワークに出かけた。変わりばえのない毎日。でもその毎日は確実に自分の目標へと続いている。新チームに入って不安なことだらけだった。けれどチームメイトみんなが自分を暖かく迎え入れてくれた。特に七瀬。彼の存在は酒井にとって心強いものになりつつある。青臭い夢だと笑われるのが怖くて、自分の夢を親にさえ正直に打ち明けたことはなかった。でも何故か七瀬には素直に話すことが出来た。いい奴だと思う。彼は笑わずに聞いてくれた。そして一緒に甲子園に行こう、と言った時、頷いてもくれた。これ以上ない毎日だ。頑張らなければいけない。自分がチームのために出来ることを、毎日精一杯やっていこう。

光陰高校野球部は決して弱いチームではない。酒井か七瀬、どちらがエースとして起用されるかは分からないが、キャラクターの違う左と右のピッチャーがいることは強みだと思う。酒井が投げる時は、七瀬はセンターに入る。チーム一の俊足を生かした広い守備範囲を平岡監督は買っているようだ。攻撃的な性格もトップバッターとしては申し分ない。しかも強気なリードオフマンにありがちな淡白さはない。大きいのを狙うより塁に出ることを目的に打席に立つタイプだ。
四番にはキャッチャーの白川が座る。長打力が魅力で、勝負強いとは言いがたいが、ツボにはまれば手がつけられない。リードに関しては少し教科書通り、という感は否めないが、それはセオリーに忠実で、リスキーさを回避しているということ。読まれやすいが、崩れにくいリードとも言える。
守備の要はキャプテン安藤。チームのムードメーカー的存在で、派手なプレーを好むわりに守備は堅実と言っていい。打者としても好打者タイプで、安定感なら白川を上回る打棒を発揮しているし、総合力ではナンバーワンの選手だろう。
確かに甲子園に行くには何もかもが足りない。しかし時間はまだまだある。殻を破りそうな選手だって幾人もいる。チームのムードも上昇気流に乗っているようだ。手前味噌だが、自分という存在がチームに劇的な化学反応を起こさせたのかもしれないと感じている。それなら自分はもっともっと自分の役割に徹しよう。野球は一人でやるものではない。自分もチームのパーツとしてしっかり機能しなければいけない。酒井はこのチームで甲子園に行きたいと心から思うようになっていた。

酒井はいつものロードワークを終えると、少し時間が余ったので、河川敷のグランドに行くことにした。あそこは少年野球チームや中学の硬式のクラブチームなどが、頻繁に練習に利用している。ちょっと見学していこう、という気持ちになったのだ。
河川敷に着くと予想通り、野球少年たちがグランドで元気よくプレーしていた。中学のクラブチームのようだ。硬式球を使っているのも判断材料だが、選手の動きが普通の中学生にしては良すぎる。あ、特にあのサードの選手は、いい足の運びをしているな。

三十分ほど見ていただろうか。酒井がそろそろ引き上げようとした時、グランドから一人の女の子が酒井の側まで走りよってきた。
「光陰高校の方ですか?」
呼吸を整えながら、少女が酒井に声をかけてきた。
「うん。そうだけど・・・」
少女の顔が劇的に明るくなる。厚めの唇が笑うとほどよく薄くなり、清純なイメージを増幅させる。相当可愛いと言っても差し支えのないレベル・・・何て七瀬のような分析をしてる自分が少し可笑しくなる。随分と影響されているのかな。
「やっぱり。絶対に見たことあるって思ったんですよ。ひょっとして酒井さん?」
「は、はい」
「きゃーすごい!本物だぁ!雑誌で見たとおりです!!」
少女は呼吸を整えるのも忘れて、興奮の余り更に呼吸を乱しているようだ。両手を口元に当てて、飛び跳ねている。苦手なタイプではないが、元気すぎる異性に自分が上手く対応できるとは思わないので、酒井は早々に退散することにした。
「じゃあ、僕はそろそろ・・・」
そう言って腰を浮かせる。
「あ、待って下さい!!」
少女が大きな声を上げる。見た目よりハスキーな声だ。
「は、はい、何でしょう・・・」
「姉がいつもお世話になっております」
少女はほぼ垂直にお辞儀をしてみせた。
「姉?」
「はい。あ、あたし平井沙織といいます」
「はい?」
「平井紗希の妹、平井沙織です。光陰高校入学予定、同野球部マネージャー予定です。宜しくお願いします!!」


-14-


年が明けて、新学期まであと一ヶ月。七瀬達の光陰高校野球部にとって、秋の新人戦の敗退で、甲子園を目指す春の全国大会の夢は破れた。が、夏の予選を目前に控える大切な時期に差しかかっており、今日は練習後に夏の大会のレギュラーが発表されることになっていた。全9ポジションを、野球部員二十九人が争ってきたわけだが、現時点で一応の結果が出る。ベンチ入りは十八人。レギュラー九人と控え九人に分けられ、その他の部員はスタンドからチームの勝利をサポートすることになる。七瀬は前回の秋の新人戦では、エースナンバーの背番号1を背中に付けていた。その前は背番号11。三年生の控え投手ではあったが、三試合中、二試合に登板し、7イニングで失点は0。まずまずの成績で、新チームのエースとして期待されたが、先に述べたとおり結果を出せないでいた。
 
大方の下馬評では、エースは酒井幸一が圧倒的に有力だった。超高校級左腕は、チーム加入後も着実に成長し、苦手とされていた内角を攻めるピッチングも徐々に実を結びつつあった。光陰高校はこの酒井を中心に守りの野球を標榜し、足を使った機動力野球で大会を勝ち進もうと目論んでいた。実際にチームには俊足の選手が多かったし、スラッガーは白川以外見当たらなかったが、バントやエンドランといった小技で着実にランナーを進塁させ、少ないチャンスを確実にモノにするというスタイルを確立しつつあった。

「緊張するなぁ・・・」
白川が不安そうに呟いた。
白川は新チーム結成後、守りの要であるキャッチャーを任されていた。しかし内角をつけない外角主体のリードはオーソドックスで、それなりに的を得た配球ではあったが、強気の平岡監督には物足りないらしく、よく絞られている姿を目にしていた。おまけに肩が弱いというのが、彼の最大のネックだった。送球は正確なのだが、捕ってからの動作に無駄が多く、盗塁を阻止できない場面を多々演じていた。それに加え、下級生で新人戦の頃は全く目立たなかった石川博史が著しい進歩を遂げていた。総合力ではまだまだ白川の方が上だったが、平岡監督は下級生への抜擢に躊躇がない性格。もしかするとレギュラーポジションは危ういのかもしれない。

七瀬の方は、すでに達観した心境になっていた。別にエースの称号を得ることを諦めたわけではないが、ここ数ヶ月、どれだけ努力しても酒井の圧倒的なピッチングには及ばなかった。それは身びいきして考えても比較になるレベルではなく、七瀬自身もそれなら何か別の形でチームに貢献できないか、と考え始めていた。平井はそういう七瀬を見て不満そうにしていたが、努力しているのは側で見ている自分が一番理解している、とも思うようで、あえて何も言わなかった。

平岡監督が白いメモ用紙を見ながら背番号を発表している。
名前を呼ばれた選手が、「はい!」と大きな声を上げ、マネージャー平井紗希が胸に抱える真新しい背番号を次々と受け取っていく。七瀬は十番目に呼ばれた。背番号10。どうやら控え投手の一番手は自分のようだ。なぜなら次に呼ばれたのが、同級生のピッチャー陣内克己で、通常同ポジションの場合は、背番号の若い選手から順にレギュラーに近くなる。自分以降の選手は控えということになり、十八人目までの名前が力強く呼ばれた。酒井は勿論エースナンバーの1。

「以上が、ベンチ入りメンバーだ。」
平岡は選手達を見渡しながら言った。
「だが・・・」
平岡は特にレギュラー陣を意識するように続けた。
「あくまでこの背番号は現時点のものだ。一月もすれば新入生も入ってくる。気を抜いた奴はどんどん代えていく。だから今名前を呼ばれなかった者にも充分にチャンスは残っていると思え」
七瀬は不思議な気持ちで平岡を見ていた。自分が肩を壊したかもしれない時、真っ先に気付き、病院を紹介してくれたのは監督だった。しかも今振り返ってみると、平岡監督は自分の肩の状態をよく理解していたのではないかと思う。それを知っていてわざとあの医者に自分を見せ、七瀬の野球に対する取り組みに注意を促したのではないか。優れた監督だと思う。心から尊敬できる。でも何故か心にはポッカリと穴が開いたようだった。監督なら俺を指名してくれるのではないか、という淡い期待感もあったからだ。自分には酒井を凌ぐ何かがあって、監督はそれを見抜いている・・・根拠のない話だが、こう思うのも仕方ないのかな、と思う。自分は控え投手をやる為に野球を続けてきたわけではないのだから。

練習後、選手それぞれが帰り支度をして帰っていく。レギュラー獲得に喜びを隠せない者がいる、喜びを噛み締める者もいる。逆にレギュラーに指名されなかったが、落胆の色を出さす気丈に振舞っている者もいる。そしてそれを隠せない者も。今の自分は周りにどう映っているのだろうか。
七瀬は暗くなりそうな気持ちを奮い立たせながら、白川に話しかけた。彼は見事レギュラーポジションを獲得していた。
「良かったな。おめでとう」
精一杯強がりに聞こえないように注意した。もしかするとそれは裏目に出る行為なのかもしれないが、自分にはそれ以外の振る舞いは思いつかなかった。
「うん、ありがとう」
白川は戸惑ったように七瀬を見る。喜びたい気持ちと、レギュラーになったというプレッシャーが同時に彼の心を行ったり来たりしているのだろう。あと七瀬への配慮もあるのかもしれない。
「チームにはスラッガータイプはお前だけだからな。まぁ妥当だよ。いくらランナーが出たってホームに返せなきゃ意味がない」
「すごい重圧ですよ」
白川が情けない声を出す。
「何言ってんだ。塁に出るのも返すのもプレッシャーは一緒。野球ってのは、各々の役割を選手全員がしっかり果たしてこそ機能するんだよ。しんどいのはお前だけじゃない」
「・・・分かってます」
「だったらそんな顔してんじゃないよ。勿論、俺らベンチの控えだってゲームに参加してる。ベンチ入りできなかった選手も同じだ。それにまだ大会は始まってないからな。気を抜いたら俺がお前に取って代わるかも知れんぜ」
「みっちゃんには負けませんよ」
白川がやり返してきた。そうだ、それでいい。
二人で少しだけ笑い合うと、視線の先に酒井が映った。奴も何だか暗い顔をしている。何だよ、お前もかよ、と七瀬は心の中で苦笑した。心根が優しいのは分かるが、こんなことじゃ試合の重大な場面で後れをとることになる。七瀬は完璧だと思われている酒井の唯一の欠点はそこにあると見ていた。
「おう、酒井。帰りに飯でも食って帰ろうぜ」
と、七瀬は酒井の肩を叩きながら声をかけた。酒井はビクッとして驚いたような表情で七瀬を見る。
「どうした?」
七瀬は不審に思った。怯えた表情にも見えたからだ。
「な、何でもないよ」
酒井はそれだけ言うと「今日は用事があるから」と言って足早に帰っていった。
「どうしたんだ、あいつ」
七瀬は白川に向かって言った。白川も怪訝な顔をしている。校門を出て行く酒井の後姿を、七瀬と白川は無言で見送った。

「お疲れ様」平井紗希の声がした。
「よう、お疲れさん」
七瀬は心臓が高鳴るのを感じながら平静を装った。どうも近頃、平井を見るとこういう症状に陥る。理由は分かっていたが、分かったからと言ってどうなるものでもないので七瀬はなるべく深く考えないようにしていた。自分にとって今はそれどころじゃない、はずだから。
「明日も・・・走るよね?」
平井は、誰かに聞かれるのをはばかるような小さな声で言った。
「当然だろ。大会までまだまだチャンスは残ってる」
七瀬は胸を張った。
すると彼女は、くすっと少しだけ笑みを見せると、「じゃあ明日」と言って校門に向かって女性にしては大きく感じる歩幅で歩き出した。彼女はいつもそうで、背筋をしっかりと伸ばして前を見て歩く。男の後ろを甲斐甲斐しく付いて行くタイプじゃないな、と七瀬は思う。すると校門の手前に矢野がいて「紗希ちゃん、バイバイ~」などと気軽に挨拶をし、気軽に無視されていた。もう何度目だよ、と思うが、矢野は全く懲りてない様子だ。
矢野は七瀬と白川を見つけると、何か良からぬことを企んでそうな顔つきで近づいてきた。
「ビッグニュースがあるんすけどぉ」
将来はミュージシャンより芸能レポーターにでもなった方がいいと七瀬は矢野を見ていていつも思う。三日に一回はビッグニュースという単語を口にする。その殆どがたわいもない噂話で、七瀬自身聞いていて愉快な話題ではないので、大抵は受け流すことにしている。しかしこの日、矢野からもたらされたビッグニュースは七瀬にとっては発狂モノだった。

矢野のスクープ・・・「酒井と平井は付き合っているらしい」


-15-


酒井のストレートが白川のミットに吸い込まれる。球質の重そうな音が七瀬の耳に響く。校舎の窓からギャラリー達が歓声を上げた。
「すげえなーどうやったら、そんな音が鳴るんだ?」
茶化すように言うと、酒井は「みっちゃんも見てないで投げ込みなよ」と言った。
七瀬の先には、レギュラーには洩れたが、虎視眈々と正捕手の座を狙う石川がミットを構えていた。来週の日曜日の練習試合は、七瀬と石川がバッテリーを組むことになっていた。石川にとっては少しのチャンスも逃せないといった心境なのだろう、七瀬の投げるボールを「ナイスボール!」だの「オッケー!」だの、大きな声を上げて必死にアピールしていた。七瀬だってエースの座を諦めたわけではなかったが、周りからは最早勝負あった、と思われている節があり、七瀬も何となくそんな気になってきていた。実際に外野の守備練習に割く時間も増えている。
反面、白川は苛烈なポジション争いの真っ最中だったが、全然声が出ていない。何をやってるんだ、おまえは・・・と、七瀬は肩を落としたが、自分も周りから見ればそう見えるのだろうと思うと情けない気持ちになる。大体、矢野のスクープ以来、練習に全く身が入らなくなっている。要するに酒井と平井が気になって仕方ないのだ。

「本当なんですか、それ?」
白川が興味深々と言った様子で矢野を見る。
「間違いないね」
矢野は自信満々で応える。
矢野の鋭い?推理は以下のような情報から構築されている。まず酒井と平井紗希はご近所さんだということ。次に同じ転校生同士気心が知れるのか、あの無口な平井が酒井とだけは親しげに会話をしていて、一緒に下校している姿が何度も目撃されてるということ。酒井の使っているタオルにイニシャルが縫われていて、その文字が「S・H」であるということ。美男美女でお似合いだということ・・・最初と最後のは何の関係もないじゃないですか、とすかさず白川のツッコミが入った。七瀬は考えた。ご近所というなら自分もそうである(関係ないけど)学校では殆ど話さないが、早朝のロードワークは毎日欠かさず一緒にやっているし、初詣にだって行った。でもなぁ・・・

投球練習の合間にチラチラと酒井と平井を観察するのが日課となっていた。普段は酒井の隣で投げ込みをすることなど滅多にないのだが、あのスクープ以来、なるべく酒井と行動を共にしている自分がいる。更にショックなことに、確かに平井は練習中に酒井を時折見ている。
「七瀬先輩!球が上ずってますよ。もう少し低く、低く!!」
石川の声が、七瀬の思考を遮断した。
分かってるよ、心の中で毒づきながら七瀬は目一杯の力で、石川めがけて右腕をしならせた。


-16-


トイレから部屋に戻る途中で電話が鳴った。
「もしもし、七瀬ですが」
「あ、光春?私、翔子だけど」
かすれた声と甘ったるいイントネーション。懐かしい声だった。それと同時に忘れかけていた会津翔子と過ごした日々の記憶も一気によみがえった。胸やけと共に。
「久しぶりじゃん」
七瀬はそれだけ言った。
「うん、久しぶり。あのさ、今からちょっと出て来れない?いつもの公園まで」
何を勝手なことを言ってるんだ、と心底思う。
「何で?」
「会って話すから。じゃあ、待ってるね」
翔子の声とほぼ同時に電子音。
七瀬は受話器を置き、壁に掛けてある時計を見た。針は二十三時を指している。相変わらず非常識な奴だ。こっちはまだ行くとも言ってないのに一方的に切りやがった。

公園に会津翔子はいた。一人じゃない。数人の男女に囲まれて何やら楽しそうに話をしている。手には煙草。公園のベンチ付近は吐き捨てられたツバと、食べ散らかしたコンビニ弁当が転がっている。
「あ、光春!!」
翔子が七瀬を見つけて真っ赤な唇の間から白い歯を見せた。何年後かにはヤニで黄色くなってんだろうな、と七瀬は瞬時に想像した。
「こいつが元カレ?」
金髪の少年が煙草を加えたまま翔子に尋ねる。見たところ年下。正直、翔子の友達にはこういう輩が多いので、粗末な扱いには慣れていた。
こういった輩には見掛け倒しの人間が驚くほど多いのを七瀬は知っていた。何度か揉め事に発展したことがあるが、大抵は外見に中身が伴っていない。それでも周りがこういった連中を恐れるのは、極めて例外的に本物がいるからだ。こいつらはそういった本物の威光にすがった虎の威を借りる狐だ。心の底からくだらないと思う。
「何か用?」
七瀬は少年を無視して翔子に話しかける。
「うん、あ、ちょっと待って」
翔子はそう言うと、仲間の輪の中に入っていく。そして下品な笑い声が大音量で発生する。

七瀬は翔子達からかなり離れたベンチに腰を掛けた。冷てぇな、くそ。些細なことに苛立つ。引き続き耳を刺激する笑い声。いつものことだ、と思う。何にも変わってないんだな、と。いや、変わってしまったんだな、と。
会津翔子とは同じ中学で、高校も同じ光陰高校に入学した。中学の時から社交的で活発な性格だった翔子は、いつもクラスの中心的存在だった。しかし高校に入った頃から言動が激変した。髪は茶色に染め上がり、スカートは足首を隠すほどの長さとなった。言葉遣いも荒くなり、煙草も吸い出した。七瀬はずっと見ていた。恋人だったからだ。

高校受験の前日に告白された。赤く染まった頬をマフラーで隠す翔子はとても可愛らしく、クラスのマドンナ的存在だった彼女が自分に好意を持ってくれたことが七瀬はとんでもなく嬉しかった。交際が始まり、彼女にのめり込んでいく自分を感じた。彼女が「野球よりラグビーが好き」と言った時は、本気でラグビー部に入ろうか迷った。だが、彼女は次第に学校に来なくなり、家にも帰らなくなった。

ある日のこと。七瀬は繁華街を夜な夜な徘徊しているという翔子の情報を聞きつけ、夜の街へ繰り出した。高校一年生の自分にとって、赤や青のネオンの光はたまらなく眩しく、ここはまだ自分のような年代の人間が来るところではないと肌で感じた。
翔子はいた。柄の悪そうな少年二人組と、目的がないのが目的だ、と言わんばかりに路上で煙草をふかしていた。
「帰るぞ」
七瀬はそう言って翔子の手を掴み、引っ張った。
「痛えな!離せよ!!」
翔子が叫ぶ。
翔子のそういう口調が、自分に対して発せられるのをその時初めて聞いた。その様子を見た少年二人が歯を剥き出して七瀬に掴みかかった。頭に血が上った。あとのことはよく覚えていない。七瀬は駆けつけた白川と矢部、そして教師達に連れられて学校へ。そして次の日から翔子の名前は学校名簿から消えた。退学だった。

何故、自分は退学にならなかったのか。七瀬は一時期、翔子に対して強い罪悪感を抱いた。そして自分の取った行動を悔いた。どうして最後まで冷静でいられなかったのか。白川や矢部に頼んで仲間を集め、翔子を探しに街に出たまでは良かったはずだ。現場に教師がいた。何故だ?俺は呼んでない。警察沙汰や学校に知られるのは絶対に避けたかった。それなのに教師は現場に駆けつけてきた。後日知ったのだが、仲間があらかじめ呼んでいたのだそうだ。
違う、翔子。違うんだ。俺はお前を助けたかっただけなんだ!七瀬は仲間を恨んだ。どうして俺の言うとおりに動かなかったんだ!昔は上手くいったじゃないか!!

七瀬は、人は自分で考えて行動できる生き物だということを忘れていた。自分がいつの間にか仲間を見下していたことも知った。自分の指示なしに動けるはずがないと思っていた。過信は翔子の退学という最悪の結果を生んだ。
正義感は誰しもが持っている。そしてその正義感が最も強い時期。それは子供の頃だと思う。あの小学生達を助けた時、自分達に打算的な考えなどなかった。あったのは不良中学生から女の子達を守る、という意識だけ。様々なことに考えが及ばないだけなのかもしれないが、それは時に勇敢なる意志となって人間を突き動かす。
翔子の一件と何が違ったか。答えは、知らない間に自分達が計算して物事を考えるようになっていたということだろう。常識で考えれば、自ら翔子を連れ出さなくても、教師に連絡さえすれば、少なくとも乱闘騒ぎにはなっていなかったろう。それを自分は青臭い仲間意識や倫理観で、警察や教師にバレたらマズイと計算した。だが同じように仲間も計算したのだ。自分達だけで行動し問題を起こすよりも、教師も巻き込んでしまえば降りかかる被害は最小限で済む、と。七瀬は翔子を救いたいと思い、仲間たちは七瀬を救いたいと思った。これがお互いの意識の中にあった決定的な差だった。

それ以来、七瀬は友達の人格を尊重するという意識を強く持つようになった。その意識は野球にも強く現れた。中学までは一人相撲なピッチングが多かった。打者は三振にしとめなければいけないと思っていた。しかしこの事件以降、バックを信頼して打たせてとるピッチングを模索した。球威や球速の問題も確かにあったが、意識の変化がなければ技術が精神に追いついたとは思えない。

七瀬は翔子の一件で得る物がたくさんあったと感じている。特に、一時の感情に任せて行動すると強い後悔を残すことを。だが、翔子はどうだろうか?退学から一年ほどは、翔子の消息は不明だった。家には帰ったり帰らなかったりの生活を繰り返しているらしく、両親でさえ滅多に会うことはないという。しかし七瀬は翔子とバッタリと出くわした。この公園で。

翔子は以前より大人びていた。茶色の髪は相変わらずだったが、七瀬に対して粗暴な口の聞き方はしなかった。その代わり金の無心が始まった。
最初の頃は、七瀬も罪悪感からか要求に素直に応じていた。しかし度重なる金の無心は、七瀬の月の小遣いだけでは対応できなくなっており、遂には貯金を切り崩すようにもなっていた。要求される額が露骨に大きくなってもいた。何度もこれ以上は無理だ、と言おうとしたが言葉に出来なかった。自分はまだ翔子との事を清算できていないのだ。翔子が仲間達とゲラゲラ笑っていた。七瀬はどうしようもない嫌悪感を覚えながらも待つことしか出来なかった。

「明けましておめでとう。光春、元気してた?」
翔子ははにかむ様な仕草を見せた。こういう仕草だけはどんどん上手くなる。そういえば今年に入ってから翔子とは初めて会う。だからさっきの電話で懐かしさを覚えたのか。
「翔子こそ、元気でやってんのか?」
七瀬は努めて昔のように話しかける。
「元気だよ。あ、そうだ、聞いたよ。野球部にすごい選手が入ってきたんだってね。こないだ会った時は何も言ってなかったから全然知らなかった。プロからスカウトが来るくらいの選手なんだって?すごいじゃん。甲子園も夢じゃないかも。ははは」
翔子はそう言って煙草に火をつけた。これだけは何度見ても似合わない。
「仕事、してんのか?」
七瀬は質問には答えず、翔子の近況を聞きだそうとした。金ならまだ何とかある。もう少しなら都合してやれる。でもこの関係が未来永劫続くはずがないし、良いわけがない。
「ボチボチやってる」
翔子はめんどくさそうに煙を燻らせる。
「ボチボチって何だよ。どんな仕事なんだ?」
翔子は「うっさいなぁ」という言葉を小声で吐き出すと、ベンチから立ち上がった。金の無心にくる時はいつもこうだ。会話もそこそこに要求を満たせばすぐに去っていく。
「幾らいるんだよ」
七瀬は言った。
「二万。ある?」
ちょうどそれしか持ち合わせていない。七瀬は無言で翔子に現金を手渡した。
「ありがと」
翔子はアイドルがブロマイドを撮る時にやるような仕草でペロッと舌を出した。そして「新エースってどんな人?やっぱ芸能人みたいなのかな」と言った。翔子の中でも七瀬は補欠のようだ。
「野球はルックスでやるもんじゃないけど、それらしきオーラはあるよ」
「へぇ、一度見てみたいな」
「見てどうすんだよ」
「別にぃ・・・じゃあ、あたし用事あるから。またね」
公園の入り口に黒い車が止まっている。車種とか詳しいことは分からないが、堅気が乗る車ではなさそうだ。翔子は、その車の助手席に身体を滑り込ませる。エンジンが唸りを上げた。
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Posted on 2011/09/28 Wed. 05:16 [edit]

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