空色ノート

中小路昌和のBLOGです。

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-恋バイ⑦-  


恋愛バイアス


-36-


日曜日の午後、七瀬は佐藤警部補と渡辺刑事の訪問をうけた。先日の事情聴取の時、七瀬も平井も、酒井に対して行われた嫌がらせ行為については黙っていた。自分からペラペラと話す必要があるのか判断できなかったし、自分達が話さなくても酒井の両親が話すだろうと思った。それからもう一つ、彼を躊躇させたのは、もしかすると酒井が翔子の殺害事件に何らかの関与をしていたのでは?という疑問が頭をよぎったからだ。

七瀬は酒井に対して嫌がらせをしていたのは翔子だと思っている。酒井のマンションの側で見つけた赤いルージュの付着した煙草。大量のツバ。そしてあの日に聞いた明らかに堅気ではない人間が乗るであろう車のエンジン音。翔子と公園で会ったときに見たあの車のエンジン音に似ている気がする。

真っ先に頭に浮かんだのは恐喝という文字だった。酒井の家は見ての通り裕福だ。本人もプロ野球へと続く将来を嘱望された人間である。こいつに関わりを持っていれば金になる。翔子が短絡的にそう考えた可能性はある。翔子が思わなくても周りが思うかもしれない。翔子は嫌がらせを繰り返し、酒井家を精神的にまいらせた上で恐喝に及んだのではないか?嫌がらせを止めたのは、七瀬の存在を知ったからだ。
 
酒井の告白から、しばらくの期間七瀬は酒井と下校を共にした。その間には何も起こらなかった。翔子は自分に気を使ったのだろか?とも考えた。しかし翔子はともかく周りの連中が納まるはずがない。ならばどうして?と、考えた時に、あることが頭に浮かんだ。恐喝のネタがなかったのかもしれない、と。とりあえず嫌がらせを始めたはいいが、酒井のどこを叩いても埃が出なかった。しかも七瀬の登場である。だから一旦手を引いた?だが、何らかの理由で恐喝は実行に移された。ネタなんてどうでもいい、やってしまえ!!これくらいの思考回路で後先考えずにやったのか?やりかねないと思う。それとも何か恐喝のネタを掴んだ?
 
翔子の死は仲間内の争いが原因だと報道していた。七瀬は違うと考える。翔子を殺したのは酒井幸一。そして酒井を殺したのは、翔子の仲間。身内を殺された報復だ。こう考えれば辻褄があうと思う。
「翔子は酒井によって殺され、酒井は翔子の仲間に報復された」
これだけの文章にしてしまえば何て事のないことだが、充分ありえるのではないか?でもどうだ?翔子の恐喝まではリアリティーがあると思う。でもあの酒井が人を殺すか?

くだらない・・・七瀬は苦笑した。元恋人を悪人に仕立て、友達を殺人犯扱いしてどうする?自分がここでこうやって思案をしている間にも、事件の捜査は着々と進んでいるだろう。犯人探しは警察の役目だ。自分の役目じゃない。それならば今、自分が出来ることは知っていることを全て話すことだ。

翔子と最後に会った夜、翔子は酒井に興味を持っていたこと。
翔子とその仲間らしき人物が、酒井のマンションの周辺にいたらしきこと。
酒井が度重なる嫌がらせを受けていたこと。
そして翔子の死の直前から、翔子らの嫌がらせはなくなっていたこと。

佐藤警部補は人懐っこい顔をさらに柔和に崩して七瀬の話を聞いていた。隣の若い刑事も同じく温和な顔つきをしている。佐藤は七瀬の父親と同年代に見えるので、五十前後。頭髪はやや薄くなっているものの、父に比べれば全然問題ではない。七瀬の父親は子供の自分から見ても哀れに思うくらいのバーコード・ヘアーで、毎朝クシで髪を右から左へ撫で付けている。禿げているのはバレバレなのだから、いっそ坊主にでもしたらどうか?とも思うが、会社とはそれを許す環境にないようだ。大人って本当に面倒だと思う。しかも毛髪が薄くなる最大の原因は遺伝だと聞いたことがある。本当に暗くなる話だ。若い刑事は二十代後半といったところか。取り立てて特徴がないのが特徴というか。人のいい刑事さんといった感じで、お巡りさんと言われたほうがピンとくる。

佐藤と渡辺があまりに聞き上手なので、七瀬は先ほどまで考えていたことを話してみた。必要以上のことかもしれないと思ったが、昨日隠し事をしたという罪悪感も手伝って口が滑らかになってしまった。
「面白い推理だね」
佐藤は決して馬鹿にした様子ではなかったが、それを肯定もしなかった。そして「ところで・・・」と言うと七瀬に今日始めての質問を投げかけた。
「会津翔子さんについて聞きたいことがあってね」
翔子のこと?自分は全部話したつもりだが。
「会津翔子さんは大変お金に困っていたそうだね。まぁこんなことを君の耳に入れても仕方ないんだが、随分と無茶なことをしていたらしい。でも不思議なことがあってね。いつも金に困っていたはずの翔子さんは、たまにどこからか手品でもするみたいに金を手に入れてきた。仲間内にもその資金源、と言っていいのかな?それはなかなか明かさなかったらしいけども。それでね、翔子さんの財布を調べたらレシートが見つかってね。ほら」
佐藤はレシートのコピーを七瀬に見せた。焼肉屋のレシートだ。金一万八千円。
「翔子さん、仲間にご馳走したそうだ。いつもお金に困っていた翔子さんが突然ね。それでおじさん調べてみたら、そのご馳走になった一人が、翔子さんの手品のタネを教えてくれてね」
驚いた。そんなことまで知ってるのか。でもそれを知ってどうなるというのだろう。
「僕です・・・」
七瀬は自分が翔子に金を渡していたことを認めた。
「そうなると我々は君のことまで疑わなくてはならなくなるんだ」
佐藤は笑った。
あ、と声が出た。そうか、自分も周りから見れば恐喝されていたと映るのだ。そうなると自分にも翔子を殺す動機があることになる。絶句した。
「勿論、君を疑うほど我々も愚かではないよ。ただこう言っちゃなんだが、翔子さんを恨んでいた人間というのは調べてもキリがないくらいでね。今の君の話で酒井君が強烈な嫌がらせを受けていたのは分かった。だがそうなると酒井君どころか君まで犯人の範疇に入ってしまう。分かるかい?」
七瀬は黙ってしまった。自分は浅はかな知恵で捜査のプロに推理をぶちまけていたという事か。元恋人と親友を犯罪者のように扱ってまで・・・俺は翔子と酒井の死が悲しくないとでもいうのか・・・

「もうすぐ夏の予選が始まるみたいだね」
重い沈黙を破るように、佐藤が急に話題を変えた。
「おじさんこう見えて学生の頃は野球をしていてね。今も暇があれば野球観戦をしてるよ。特に夏の高校野球は大好きでね。おじさんは補欠だったから試合には出られなかったけど、今でも青春の一ページとして鮮明に覚えているよ」
「はぁ・・・」
七瀬はどう答えていいか分からなかったので、軽く相槌だけうった。
「学生の本分は学業だと言うが、実際はそれだけじゃない。学校で学べないことなんて何一つないからね。その中で今、君がやらなければいけないこと。それにしっかり向き合うことが一番大切なことだよ」
佐藤はそう言うと手元のお茶に手を伸ばし「少しオヤジの小言が過ぎたかな」と、照れくさそうに笑った。


-37-


男は女を陵辱していた。
こいつのせいで・・・こいつのせいで・・・俺は・・・
今まで思い通りになってきた。
今まで好きにやってこれた。
なのに・・・
こいつめ!こいつめ!!
男は女の髪を鷲掴みしたまま果てた。


-38-


野球部の練習は再開されていた。ようやくチームは落ち着きを取り戻した、とも言えるし、まだどこか以前の元気がないようにも見える。キャプテンの安藤が率先して声を出しているのが目に付く。やはりチームをまとめなければいけないという自覚が働くのだろう。普段はチャラチャラしているようでも、こういう時には頼りになる奴なのだ。少し見直した。
平井沙織は練習に出てきていない。無理もない、と思う。あの日の彼女は見てられなかった。だからと言ってこの状態が続いていいか?と、問われたら違う気がする。だが七瀬も人のことは言えない日常を送っていた。ずっと続けていた朝のロードワークを止めていた。

酒井の死を知ってから日が経つにつれて、七瀬の気力は萎えていった。自分の置かれている立場は分かっているつもりだ。酒井亡き後、俺がエースとしてマウンドに登らなければいけない。頭では分かる。でも・・・俺は・・・それでいいのか?

平井紗希は変わらず練習に出てきていて、部員達の世話で忙しく働いていた。酒井の死は妹同様、彼女にショックを与えたはずだったが、そんな素振りは微塵も見せない。七瀬がしばらくロードワークを休みたい、と言うと黙って頷いた。何も言わなかった。彼女の気丈さが七瀬の気力を余計に奪っていく気がした。自分と彼女の人間の大きさの違いに圧倒的な虚無感を覚えた。せっかく近づいた平井との距離が一気に遠くなった気がする。だが平井だって辛いのではないか?と思う。好きな相手が無残にも殺されたのだ。表情にも行動にも表わさないが、辛くないはずがない。しかもあの河川敷が遺体発見現場なのだ。気持ちよくロードワークになど出れるはずがない。自分の無気力を他人になすりつけるつもりはないが、そういう配慮も自分の中にはあるように思う。
練習にも全く身が入らなかった。だがそういう七瀬を見ても誰も声を掛けてこなかった。監督の平岡でさえ近頃は顔色が悪い。まだ誰も立ち直ってはいないのだ。立ち直れと言うほうが無理なのだ。

朝六時に目が覚めた。まいったな、と思う。習慣というやつは恐ろしい。目覚ましをかけていないのに、この時間になると必ず一度目が覚める。七瀬はベッドから起き上がるとカーテンを開けた。今日も快晴のようだ。空には雲ひとつない。
散歩にでも行くか・・・そんな気になった。今のままの自分じゃいけないことは分かってる。だが、気持ちは晴れてくれない。悔しさなのか悲しさなのかも分からない。

いつものロードワークなら自転車で行くのだが、今日は散歩という意識があるので徒歩にした。日曜日だから登校時間を気にする必要もない。
歩きながら思考が色んな事柄に飛ぶ。酒井のこと。翔子のこと。平井のこと。チームのこと。浮かんでは消え、考えようとする回路が作動すると、強引にスイッチを切った。

階段から土手に上がり、河川敷に出る。酒井と翔子が発見された現場は、ここからほんの数キロ先だ。七瀬は現場から遠ざかるように反対方向に歩みを進めた。人影はまばらだ。普段ならもう少し人がいるはずなのに。そこまで考えて、そうか、と思った。ここは遺体が見つかった場所に程近い。そんな場所にほとぼりが冷めもしない時期に来るだろうか?答えはNOだ。俺だってここに来るのに丸々一週間かかってる。人が殺されるというのは非日常なのだと当たり前のことだが実感する。

河川敷グランドが見えてきた。子供達の声が聞こえる。グランドが見えるベンチに腰掛けた。今日は少年野球チームが河川敷グランドを使用しているようだ。身体も小さいし、声も幼いが、元気だけは高校球児に負けていない。その時、背後に気配を感じた。視界の隅に缶ジュースが映る。
「ファンタ?」
振り向くと、そこには朝日を背中に浴びた平井紗希が立っていた。
「好きでしょ?ファンタ」
平井が七瀬の隣に座る。平井はジャージを着ていた。ロードワークの出で立ちをしている。
「休みだって言ってなかったっけ?」
七瀬は言葉を選んだ。いったいここで何をしているんだ?
「最近、七瀬さんのペースが上がってきてたから、自転車で追いつくのが大変だったの。だから自主練」
彼女はそう言って七瀬の方を向くと、首に掛けていたスポーツタオルを差し出した。「M・N」という文字の刺繍が入っている。

長い沈黙の後、七瀬は思い切って切り出した。
「これ・・・あのさ、平井は・・・酒井と付き合ってたんだろ?それなのに何でそんなに平気そうにしてんだよ。何で俺にこんなのくれんだよ」
平井は驚いたような顔をした。表情の変化が少ないだけにやけに目立つ。
「矢野さん情報?それ?」
「ああ、でも・・・」
少しの沈黙の後、平井が突然話題を変えた。
「七瀬さん、どうしてファンタが好きなの?」
「何でって・・・炭酸が強いし喉ごしがいいだろ」
「コーラじゃ駄目?」
「いや、コーラでもいいんだけど、俺が聞いた噂によるとコーラにはコカインが入ってるらしくてさ」
「コカイン?」
「うん。コーラにはコカインが入ってる。だからコカ・コーラっていう名前が付いてんだって・・・でもって挙句には骨が溶けるって」
平井が吹き出した。
「それも矢野さん情報?」
「ま、まぁね」
彼女は可笑しくて堪らない、といった表情で「ちょっと待ってて」と言った後、土手の上に駆け足で上がって行った。戻ってきた平井の胸にはグローブが二つ抱かれていた。一つは七瀬の使い古したボロボロのグローブ。もう一つは真新しい。新品のようだ。
「駄目だよ。道具は大切にしなきゃ」
平井はそう言って七瀬の膝にグローブを乗せる。どうやら七瀬は昨日の練習でグローブを忘れて帰ったらしい。こんなこと初めてだ。
「このグローブは?」
七瀬は膝元の新品のグローブを見て言った。平井はすでに七瀬の側を離れて十メートルほど先まで後ろ足で移動している。左手には七瀬のグローブ。
「買ったの。大会前に新しいのにしたらどうかって思って。もうボロボロでしょ?」
「俺に?」
「うん。今日、誕生日でしょう?バースデープレゼント」
そういえばそうだ。今日は七瀬の誕生日だった。すっかり忘れていた。

手元のグローブを取って、ゆっくりと左手に嵌めてみた。買ったばかりのグローブは使いにくいが、今の時期から使えば予選が始まる頃には慣れているだろう。それに思ったよりも手に馴染む。
ボールがゆっくりとした弧を描きながら七瀬の胸元へ投げ込まれた。七瀬は慎重にキャッチする。絶対に落としてはいけない気がした。同じように投げ返す。ゆっくりと。平井の描いたのより大きい弧を描いて。
無言のキャッチボール。でもこんなに心地良いキャッチボールを経験したことがあったろうか。
「私はコーラのほうが好きだったの、昔はね」
平井の投げたボールが少し高く逸れる。七瀬はジャンプして掴むと「昔?」と聞き返しながらボールを平井へ。七瀬の送球は少し低い。しかし彼女は上手く捕球し「今はファンタのほうが好き」と、七瀬の胸元へ返球する。ボールは直線の軌道を描き、七瀬の胸元に構えられたグローブへ。
「好きになったのは最近なんだけどね」
平井はそう言って微笑んだ。


-39-


「こ、これは?」
七瀬は驚愕した。目の前にあるのは・・・いや、そびえると言ってもいいだろう豪邸に棒立ちになった。資産家とは聞いていたが、これほどまでとは想像もしていなかった。こんなのテレビでしか見たことない。和洋折衷なデザインだが全く破綻してない、と思う。よく分からないが、とにかく圧倒される。
「入って」
平井紗希は平気な顔をして七瀬を促す。中に入ると七瀬の部屋が四つは入るだろう玄関。そして目の前に広がるロビー。それとも応接間か。何といえばいいか分からないが、馬鹿でかい洋式の広間に通された。
「沙織。呼んでくるね」
平井はそう言うと、広間から伸びている、これまた横幅の広い階段を上り始めた。おーい、一人にしないでくれー、と咽喉まで出かかったが、辛うじて堪えた。

とりあえずソファーに座ってみる。身体が三分の一は沈みそうな弾力。とてもじゃないが落ち着かない。しばらくすると平井紗希が、妹の沙織を伴って階段を下りてきた。平井沙織はTシャツにジーンズといった軽装だった。何となく落ち着く服装だ。思ってたよりも顔色はいい・・・気がする。
「よう。元気か?」
七瀬は努めて明るく沙織に話しかけた。紗希は「飲み物、持ってくるね」と言うと広間の奥へ消える。沙織は何も言わず七瀬の向かいのソファーに腰掛けた。
「いやぁ・・・すげー家に住んでんなぁ・・・ちょっとびびるよ」
沙織は無言だ。だが七瀬は構わず話を続ける。
「お嬢様なんだな、平井は。ははは、参った参った。あ、そうだ。練習さ、いつから出てくる?みんなも色々と大変だったけど随分落ち着いたぞ。あとは平井が戻ってきたら元通りなんだけどなぁ」
強い視線を感じた。沙織が七瀬を睨んでいる。
「元通りなわけないじゃないですか・・・」
やっぱりそこが引っかかるか・・・七瀬は気にも留めない表情を固めた。こういうリアクションは想定済みだ。俺だって誰かがこんな感じで自分を引き戻そうとしたら頭にくる。でも他に方法が思いつかないし、現実に酒井はいない。
「甲子園行きてぇなぁ」
独り言のように呟いてみる。すると沙織は失笑するような笑みを浮かべた。
「あれ?無理だと思ってんの?」
七瀬は意外なものを見るような顔で沙織を見た。実際は意外でもなんでもないけれど。
「行けると思ってるんですか?酒井さんいないんですよ?」
七瀬は黙った。
「元々、酒井さんがいたからこそ見れた夢ですよ・・・それに・・・」
沙織はまだ何か言いたそうだが、無理やり口をつぐんだ。自分が何を言ってるのかは理解しているのだろう。ただやりきれない思いが彼女を押し潰そうとしている。誰もこのままでいいとは思っていない。七瀬だって沙織だって。だけどどうしようもない悲しみや悔しさ、そして怒りが自分達を前に進ませようとしない。過去を過去に変えられないのが被害者、そしてその家族や仲間なのだから。

「今は酒井がみんなに見せた夢に変わったよ」
長い沈黙の後、七瀬は沙織の顔を全く見ないで切り出した。そうしないと心が折れる。
「酒井はもういない。これは事実。だけど俺らのチームに酒井がいたことも事実だろ。酒井の見せた夢に魅せられた人間はまだ残ってる。チーム全員がそうだと思う。だから酒井の夢は俺らが引き継ぐ。あいつの代わりに俺がマウンドに立って、チームを甲子園に連れて行ってやる。これは酒井のためでもおまえのためでもない。俺のためだ」
沙織は何も言わない。
「甲子園にもし行けなかった時は部を辞めればいい。いや、行けたとしても辞めたければ辞めろ。ただ酒井と俺らが目指した今年の夏は最後まで付き合ってくれないか?」
紗希が飲み物を持って戻ってきた。グラスをゆっくりと置く。時間が止まって感じる。
「私は付き合うよ」
紗希はグラスを全て置き終ると、ソファーに身を沈めながら言った。そして沙織の肩に手を添えると静かに微笑んだ。
「あたしは・・・」
沙織は濡れた表情で姉を見る。
「甲子園、行こうよ」
紗希は妹を、そして七瀬を見て力強く言った。


-40-


夏の予選は全六回戦。トーナメント方式で争われる。光陰高校は前年に引き続き、圧倒的なくじ運の悪さをキャプテン安藤が引き継いだ。初戦は津山西高校と無難な相手だったが、二回戦は前年の府大会優勝校で夏の甲子園大会ベスト4共栄高校に決まった。去年の雪辱を晴らせるか?
くじ引き後、チーム全員のリアクションは様々だが、暗く重苦しい空気は一掃されていた。誰かが何かを言って士気を鼓舞したわけではないが、いつの間にか全員の意思は統一されていた。「目指せ、甲子園!!」というスローガンも部室に貼った。誰も負けても仕方ないとは思っていないのが伝わってくる。平井沙織も練習に参加している。以前と同じ、とは言わないが、徐々に明るさを取り戻しているように見える。

朝のロードワークが終わり、いつもの休憩地点で平井紗希とファンタを飲んでいると、白川が平井沙織に連れられて走ってくるのが見えた。白川は正真正銘走るのが苦手だ。
「へー燃えてるね」
七瀬はぜーぜーと肩で息をする白川に話しかける。白川は今はほっといてくれ、と言わんばかりに手を左右に振った。
「ちょっとウエイトを落とした方がいいんですよ。白川さんは」
平井沙織が、姉の座るベンチに腰掛けた。
「何だ、燃やしてんのは脂肪かよ」
七瀬は笑う。

それから四人で軽く柔軟をした。明日から始まる夏の予選を前にして全員の気持ちが高ぶってきているのが分かる。けれどそれはあえて口にしないでいた。
そろそろ通勤時間だろうか、自転車やバイクに跨った人々が河川敷沿いの道路を次々と駆け抜けていく。夏は始まったばかりだが、もう夏本番の陽気に辺りは包まれている。セミの声がうるさい。
「いいなぁ・・・バイク」
白川が羨ましそうに言う。彼はこう見えてバイクが趣味である。校則で免許を取得することは許されていない。高校を出たら真っ先に教習所に通うらしい。
「あれ?」
白川が通り過ぎようとしたバイクを見て声を上げた。
「何?」
七瀬が白川の視線の先に目をやる。
「あれ立石さんじゃないです?」
白川が七瀬に分かるように、高速で移動中のバイクを指差した。中型のバイクの後ろに女の子が乗っている。クラスメイトの立石留美だ。運転しているのは柄の悪そうなスキンヘッドの男。
「彼氏でしょうか?」
「さぁ?」
七瀬は興味がないので軽く受け流した。今時の女子高生がどんな男と付き合おうが驚かない。以前、矢野から四十過ぎのガテン系と付き合ってる女生徒の話を聞いてひっくり返ったことはあるが。ましてや立石だろ?それなりにモテるでしょ?七瀬は寝転がった。会話は途切れ柔軟が再開される。そして、絶える間際、セミの声。
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Posted on 2011/10/10 Mon. 22:33 [edit]

category: WEB小説

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