空色ノート

中小路昌和のBLOGです。

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

-恋バイ⑨-  


恋愛バイアス


-46-


決勝戦当日を迎えた。光陰高校野球部を乗せたバスは、いつもの賑わいを見せていた。安藤がプレッシャーのプの字もない様子で先頭を切ってはしゃいでいる。いい空気だな、と七瀬は感じていた。勝てそうな気がする。そんな予感があるのだ。
決勝戦の相手は日向高校。甲子園出場の経験を持つが、最後にそれを果たしたのは十二年前である。古豪と呼ばれているが、今のチーム力なら光陰だって遜色はない。日向高校には目立った選手はいない。だがその分、守りを重視した全員野球で勝ちあがってきたチームだ。野球のスタイルは光陰に似ているのかもしれない。
下馬評では、好投手七瀬を擁する光陰高校が有利らしい。でもそんなものが当てにならないのは七瀬達自身がよく知っていた。下馬評通りなら光陰はこの位置まで来ていない。

球場に着くと試合前の全体練習が始まる。宮田校長が「しっかりやれ!楽にやれ!!」と、しきりに選手をリラックスさせようとしているのが笑えた。自分が一番固いじゃないか。
軽めの練習が終わり、後は本番を迎えるのみ。球場全体が熱気を帯びているのが分かる。いよいよこれに勝てば甲子園か。

ベンチ裏の控え室でチームメイトと談笑していると、平岡監督に呼ばれた。外に出るとサングラスをかけた初老の男性が立っていた。
「悪いね。試合前に」
男はしわがれた声で七瀬に言った。とりあえず帽子を取って頭を下げる。
「スカウトの者です。まぁ、もうかなりの人間から挨拶されたとは思いますが・・・」
かなりも何も一人にだって挨拶なんてされてない。
「とにかく悔いのないように」
男はそう言って、七瀬の肩をゆっくり叩くと年齢にしては軽く見える足取りで去っていった。
「まぁ・・・ここまで進めばこういうこともある」
平岡が七瀬に笑いかけた。

試合開始前のアナウンスが球場に響き渡る。日向高校のラインナップをポジションごとに紹介している。今日の試合は、先攻が光陰高校。後攻が日向高校である。七瀬は先発で打順は一番。今大会は当たっていて打率は354。出塁率は四割を超えている。ネクストバッターズサークルで、軽く素振りをしながら相手投手の投球練習を見ていた。特に目立つようなストレートは持っていない、という情報どおり打ち頃のスピードに見える。
七瀬はポケットに手をやった。そこにはお守りが入っている。試合前に平井紗希と平井沙織がチームメイト全員に、お手製のお守りを渡してくれたのだ。
「試合前に中身を見て」
平井紗希が七瀬に言った。
試合直前、こそこそとトイレに入り中身を見た。映画のチケットが二枚、そして数行の文字が並んだ手紙。

「光陰高校の攻撃。一番ピッチャー七瀬君」
試合開始を告げるアナウンスが流れると、光陰高校のスタンドが大きく湧いた。鳴り物付きの応援団が一気にムードを盛り上げる。
「勝ったら映画か・・・」
七瀬は口元に少しだけ笑みを浮かべると、バッターボックスに向かった。

試合は何となく重苦しいムードの中、進行していた。戦前の情報では守りが堅いと聞いていた日向高校にエラーが続出。リラックスしているようでも、初の決勝戦に動きが硬かった序盤の光陰高校を助けた。しかし初回と三回に、二点ずつ挙げたものの光陰高校も以降はランナーを出せずにいた。逆に日向高校がジリジリと追いすがる展開。四回に先頭バッターを四球で出したのを皮切りに、二本のタイムリーヒットを浴びて二点を失った。

七回裏、日向高校の攻撃は三番サード椿から。俊足巧打の選手らしいが、今日は全くタイミングが合っていない。七瀬は難なく椿を討ち取ると、四番レフト桂木を迎えた。
「要注意ですよ、こいつは」
白川が目で合図を送る。七瀬は分かってるよ、と首を縦に振った。今大会三本のホームランを打っている日向高校が誇るスラッガーである。慎重に対戦するのに異存はないが、白川はまた外角にミットを構えている。七瀬は低目を意識して外角へ丁寧なストレートを投げ込む。しかしこれが命取りだった。セオリーを覆す技術。桂木は思いっきり左足を踏み込んできた。打球は快音を残して、光陰高校応援団の悲鳴と共にバックスクリーンへ消えた。

九回表、光陰高校の攻撃。スコアは4-3。光陰高校一点リードで塁上は埋まっている。アウトカウントは二つ。打席には左の四番白川を迎えていた。七瀬は二塁ベース上にいた。肩で息をしている。やはり連投の疲れはここにきて彼を襲っていた。どうしても一本欲しい場面だ。相手投手相良は変化球で目先を散らし、最後にはストレートで勝負してくる。分かっているのだが、どうしても待ちきれない。それでもようやく慣れてきた頃にパターンを変えてくる。序盤と打って変わってストレートでカウントを稼がれ、変化球で絡め取られる。頭の中がぐちゃぐちゃになる配球。何ていやらしいピッチャーなんだ。七瀬はかろうじて初回にヒットを放っていたが、白川はこれまでの四打席全て凡退していた。平岡監督がこの回の攻撃の前に選手たちにアドバイスを送った。「来た球を素直に打ち返せ。今日の日向高校の守備なら転がせば何とかなる。好球必打を徹底しろ」

その甲斐あってかサードのエラーを皮切りに、二死満塁の大チャンス。ここは白川の打棒に期待するしかない。しかしかなりのプレッシャーを感じているようで、打てる気配がない。七瀬は焦った。しかしどうすることもできない。あれこれ考えてるうちに相良が投球モーションに入った。右手の握りをとっさに見る。ストレートだ。七瀬は心の中で歓声をあげた。白川はストレートに滅法強い。しかも監督からは好球必打の指示が出ている。相良のストレートが外角に投げ込まれる。白川は振りにいった。中途半端なストレート・・・のはずが、白川は振り遅れている。この馬鹿!頭の中から変化球が消えてない!!

打球は鈍い音を立ててサード前に転がった。球足は意外と速い。振り遅れながらも振り切ることに躊躇はなかったのだ。しかし真正面では・・・七瀬は舌打ちをした。しかし、その刹那サードがボールを後逸した。トンネルだ!!ボールはレフト線へ転がっていく。サードランナーの安藤が手を叩いてホームに生還。これで二点差。七瀬も三塁ベースを猛然と回った。セーフのタイミング。だがレフトから矢のような送球が本塁へ。好守の日向高校を象徴するレフト桂木のダイレクト返球だ。七瀬は躊躇なくキャッチャーの足元の隙間から見えるホームベースに足を滑り込ませる。スピードは死んでない。その瞬間キャッチャーミットに吸い込まれるボールの音を砂煙の中で聞いた。判定はアウト。七瀬は右足に激痛を感じた。


-47-


スカウトの宇津木がバックネット裏で、手帳に何やら書き込みながらマウンド上の七瀬を見ている。彼はマウンド上で両手を両膝についていた。客席からは悲鳴と歓声。ガッツポーズで塁上を回る四番桂木とは対称的だ。まさに奇跡的な逆転打。だが宇津木には三番椿に死球を与えた時点で勝負あったと見えた。

この回の七瀬は明らかに精彩を欠いていた。まるで別人のような投球で、先頭バッターに強烈なライナーを打たれた。好守の安藤が飛びついて一死は取ったがツキはここまで。続くバッターにセンター前にはじき返され、椿に死球。交代か?とも思ったが、光陰高校監督平岡は動かなかった。気力充分なボールではあったが、それが通用する相手ではなかった。四番桂木の今日二本目のホームランがライトポール際へ吸い込まれた時、やはり野球の神様はいるのだな、と思った。劇的なサヨナラホームランは光陰高校初の甲子園出場の夢を切り裂いた。そして手帳には走り書きで一行、「所詮、ここまでの選手」と書き殴られていた。

七瀬はマウンド上で呆然と立ち尽くしていた。九回表の攻撃で、足に激痛が走った。滑り込んだ際に捻ったのだ。立つのも辛い痛みだった。しかし黙っていた。まだやれる、と思った。先頭バッターに芯でボールを捉えられた。打球は安藤のグラブへ。ツキはこちらにある。七瀬は気力を奮い立たせた。それでも足がどうしても言うことを聞かない。今日全く当たっていない椿にデッドボールを与えた時点で、交代を打診すべきだった。だが、七瀬の脳裏には試合前に会ったスカウトの顔がチラついていた。完投しなければ・・・途中でマウンドを引き摺り下ろされるような無様な姿は見せてはいけない気がした。プロのスカウト。考えてもいなかったプロへの階段が僅かながら目の前に差し出された。夢というには過ぎた夢。それを目の前にした時、打算が七瀬の胸を覆った。マウンドを降りるべきだった。自分は甲子園に行くために頑張ってきたんじゃないのか?後戻りのきかない高校最後の夏は、甲子園への切符ごと消えた。


-48-

 
彼は胸を撫で下ろした。どうなることかと思ったぜ・・・心底安堵した。やるべきことはやった。この結果で自分が責められることはないだろう。やはり自分は悪人にはなりきれない。善良だとは言わないが、それがどうした文句あるか?と開き直れるほどの胆力はないのだ。
グランドに崩れる選手達・・・ホームベース上で歓喜に沸く選手達・・・安心感の後に去来した後味の悪さに顔を歪めながら彼は球場を後にした。


-49-


信じられない光景に声を失った。これからどうなる?男は自問した。そこにあるのは自己保身のみ。


-50-


スタンドは悲しみに包まれていた。矢野はグランドの七瀬と白川を虚脱した表情で見つめていた。こんな結末は予想だにしなかったに違いない。俺だってそうだ。甲子園出場が決まれば、在校生総出で甲子園に応援に行かなければならない。もしそうなったら決まっているライブはどうしよう?甲子園か・・・遠いな。そんなことばかりが頭にあった。試合前も試合中も、負けるだなんて一瞬も思わなかった。現実が暗転したのはほんの数分前のことだ。少し前に座る立石留美が視界に入った。友人達と共に肩を抱き合って涙を流している。それは本当に涙か?矢野は不快に思った。その時、グランドには見えない、ある男の顔が脳裏をよぎった。


-51-


佐藤警部補と渡辺刑事は球場を後にした。光陰高校のサヨナラ負け。現実はいつも淡々としている。
「惜しかったですね・・・」
渡辺は押し殺したような声を発しアクセルを踏む。佐藤はシートベルトをはめながら無言で頷いた。酒井幸一亡き後、よくここまでやった、と思う。しかしどうせここまで来たなら勝ってほしかった。光陰高校が決勝に進んだことを知った佐藤は我が事のように喜んだ。陰惨な事件はまだ進展を見せていないが、残された若者達が健気に前を向いて進んでいる事実が佐藤には嬉しかった。力負けと言ってしまえば、それまでの試合展開だった。日向高校にあれだけミスが出たのにも関わらず光陰高校は勝利を手に出来なかったのだから。
「何か声でも掛けていきますか?」
渡辺が言ったが、佐藤は必要ない、と言った。自分達の顔を見れば否応なく彼らは事件のことを思い出すだろう。今は目の前の現実を受け止めることすら叶わないはずだ。単純に彼らを応援していたが、自分達の職業はその気持ちを後押ししてくれはしない。つくづく因果な商売だと思う。
その時、無線が鳴った。
「会津翔子の交際相手、確保したそうです」渡辺が言った。


-52-


ブラウン管の中で高校球児たちが躍動している。時間と日を追うごとに決められていく勝者と敗者。劇的に色付けされた球児たちの夏は永遠に人々の目に焼きつくのだろう。甲子園という舞台に上がれた者たちだけに与えられる唯一の特権は、語り継がれることなのかもしれない。
七瀬達、光陰高校野球部OBは、光陰高校を破り甲子園に出場した日向高校の試合を見るために平井姉妹の家に来ていた。夏で引退した三年生のチームメイトはほとんど顔を出している。沙織は不在。新チームの練習に参加しているためだ。光陰高校野球部は新たに走り出していた。終わりを告げる夏は始まりを告げる夏でもある。決勝戦の後、しばらくは涙に暮れたナインたちだったが、その後の慰労会では笑顔を取り戻していた。勝負は時の運。自分達の夏に後悔はない、というのが各々が抱く共通した想いだったのだろう。ただ、七瀬は違った。チームへの罪悪感が消えない。だがチームメイトにはそれを見せないように気を配った。今更どうにもならないことにナインを巻き込むことはない。

日向高校は初戦で破れた。序盤で失った三点を最後までどうしても取り返すことが出来なかった。しかしその試合内容は、さすがは日向高校だと感嘆するに充分なものだった。自分達との決勝戦ではチームカラーである堅守が色褪せていたが、この試合ではその特色を遺憾なく発揮していた。何度となく訪れるピンチを好守で防ぎきった。特に決勝でエラーを連発していたサード椿は、素晴らしい守備を見せた。これが彼本来の力量なのだろう。大したものだ。反面、七瀬から二本のホームランを放ち、日向高校を甲子園に導いた四番の桂木は精彩を欠いた。広い球場に力みが加わったのかもしれないが、力任せのスイングが目立ち、打球を尽く打ち上げていた。七瀬との勝負でもこういうバッティングをしていてくれたら・・・と思う。野球とは本当に奥が深い。

日向高校の試合を見た後、安藤がボーリングに行こう、と言い出した。引退すると、毎日のように会っていたチームメイトと顔を合わせる機会は激減する。口には出さないが、みんなそれを寂しく思っていた。顔を合わせる機会があるなら出来るだけ会いたいし、時間が許す限り遊んでいたい。厳しい練習の日々中、遊ぶことなど二の次だったのだから。
 
ボーリングを終えて、各々が帰途に着く前に平井紗希に声をかけられた。
「映画の券、持ってる?」
平井は「先に行ってるね」と言って自転車を走らせた。七瀬は白川の「一緒に帰りましょう」という誘いを断って、わざわざ遠回りをして街の映画館に向かった。無事、映画館に着いたのは解散から一時間後の午後七時半。平井紗希は映画館の前で堂々と待っていた。
「遅いよ」
平井は少し拗ねた様子で「最終の上映には間に合ったけど」と笑った。

映画の内容は全く頭に入らなかった。映画を見ている間は、スクリーンより平井のほうが気になって仕方なかった。
足を痛めてから朝のロードワークはやってない。いや、足を痛めていなくても野球は引退だ。ロードワークの必要がない。そのせいで平井紗希に会う機会が激減した。今日、久しぶりに彼女に会った。試合後、彼女は何も言わなかった。ただ悔しそうに唇を噛んでいた。妹の沙織が号泣していたのとは対称的だ。その態度に七瀬は感心する、というより呆れた気持ちになった。確かに気丈な振る舞いだとは思うが、こんな時くらいは感情を爆発させたって罰は当たらないように思う。事実、七瀬は泣きそうだった。しかし泣かなかった。それは感情を表に出すのが恥ずかしかったからではない。自分には泣く資格がない、と思ったからだ。

映画館を出ると、七瀬と平井は少ない会話を挟みながら、夜の街をブラブラと歩いた。街というのは昼と夜で、その表情を全く変える。自分には不釣合いな場所だと思う。だが平井はどうだろうか。贔屓目なしに綺麗な顔立ちをしている。学校で聞いた噂では芸能界への誘いだって一度や二度ではないらしい。その超高校級の美女と自分は歩いている。夜の街を。明らかに見劣りするんだろうなと自嘲気味な気分になった。
「足、大丈夫?」
平井が痛めた右足を少し引きずるようにして歩く七瀬に言った。
「日常生活に支障はほとんどないよ。もうすぐシップも取れるし。思ったより重傷じゃなかったって感じかな」
「そう」
また会話が途切れる。何か言わなくちゃ、と七瀬は焦った。別に平井との無言の時間は慣れているし苦痛ではない。むしろ救われる気持ちになったことは多々ある。しかし今日は何故か沈黙が苦痛だった。
「ごめんな」
七瀬の口から自分でも意外な言葉が発せられた。平井は不思議そうに「何が?」と聞き返す。
「いや、だから・・・甲子園行けなくて・・・ごめん」
平井は足を止めた。
「甲子園に行けないことを謝らなくちゃ駄目だとしたら、この世の中には謝る人がたくさんいるね」
「それだけじゃないんだ。実は・・・」
「やめて」
平井は七瀬の言葉を遮る。
「エースはマウンドに立ったら、ゲームセットの瞬間までマウンドに立っていたいと思うものよ。怪我をしても球威が落ちても、理由は何であれエースなら絶対にそう思うはずだわ」
平井はそう言うと、持っていたバッグの中から汚れたボールを取り出した。
「最後の試合のボール。こっそり貰ってきたの」
ボールが目の前で踊る。七瀬は慌ててキャッチした。
「光陰高校のエースとしての自覚が最後の最後で生まれたのよ。結果はどうだっていい。私はそれが一番嬉しかった。だから・・・」
その時、彼女の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「もう二度と謝らないで」


-53-


「リストから彼を外すな」
奴は顔色一つ変えずに無表情に言い放った。
「彼にプロになる資質は見い出せません」
宇津木もなるべく平坦な口調を崩さない。
夏の甲子園大会は、佳境を迎えていた。大会屈指の左腕、中道信雄を擁する三ノ輪高校が劇的なサヨナラ勝ちを続けている。対抗馬は超高校級スラッガー尾上を軸に圧倒的な破壊力で勝ちあがってきた生興学院だ。両校共に華のあるチームで、本大会は高い注目度の中で日程を消化していた。

「今年は高校生が豊作です。特に中道と尾上。この二人は今ドラフトで数球団が競合するのは、ほぼ確実です。他にも高校生に人材は事欠きません。我が球団は現在主力選手が充実期に差し掛かっています。こういう時期だからこそ将来性のある有望な高校生を率先して指名すべきです」
「彼に将来性はないと?」
「私はそう見てます」
宇津木は嘆息した。いつものことだ。毎年のように行われるやり取り。プロ野球というのは本当に実力があるものだけが足を踏み入れられる領域だと世間一般は思っているだろう。しかし現実はそうとも限らない。どんな密約を交わし、どんな利害関係があるのか知らないが、こうやって実力のない者を入団させようとする人間がいる。宇津木の球団だけなら物笑いの種にでもなるが、これはどの球団でも多かれ少なかれ行われていることなのだ。
「何もドラフト上位で指名しようと言うのではない」
奴は琥珀色の液体を啜りながら宇津木を見る。冷淡な顔だ。
「彼がドラフトに掛かる可能性は?」
「ほぼ、ありません」
「それなら問題はない。彼を指名する方向で動きなさい。いいね」
宇津木はもう何も言わなかった。


-54-


ボーリングの日から、七瀬と平井紗希は毎日のように会っていた。まさかこんな日が来るとは思わなかったが、七瀬は二人が恋人同士であることを認識していた。どちらかが交際を申し込んだわけではない。しかし阿吽の呼吸とでも言うのだろうか、何となく二人は毎日会うようになっている。
「今日は何をしようか?」
平井紗希は商店街で買ったコロッケを頬張りながら楽しそうに七瀬に問いかけた。
こうやって一緒にいて思うのは、彼女も普通の女子高生だということだ。見た目の近寄りがたさや無口さで、崇高なイメージを持たれてはいるが、毎日を一緒に過ごしていると、驚くほどよく話すし、よく笑う。これが自分だけに見せる姿ならこれほど嬉しいことはない。いや、事実そうなのだろうと思う。あの日、彼女の見せた涙が二人の間にあった何かを洗い流してくれたのかもしれないと七瀬は感じていた。

「大学野球?」
七瀬は素っ頓狂な声を上げた。
平井紗希に連れられて、お洒落なカフェレストランに来ていた。彼女は七瀬の知らない世界を簡単に見せてくれる。ファースト・フードかファミリーレストランが関の山だった彼には彼女の世界は新鮮だ。自分の家庭環境を決して卑下はしないが、育ちが良いというのは素晴らしいことだな、と心底思う。
「大学進学するんでしょ?だったら野球部のあるところが良いなって。それなら私もずっと側で応援していられるし」
大変なことをサラッと言う。それは七瀬と同じ大学に行くと言っているのだろうか?
「野球か・・・」
七瀬は呟いた。
高校野球で燃え尽きた気になっていたが、野球はずっとやっていきたいと思っていた。それはプロを目指すとか大それたものではなく、漠然としたものだ。そうか。大学に行けば少なくとも四年間は野球が出来る。その間に自分の身の丈にあった将来設計を立てればいいのかもしれない。
「絶対にまだまだ伸びると思うんだよね。私が見てきた短い時間でも凄く成長したと思うし。だって最後の試合なんてスカウトの人が見に来ていたぐらいだもの。それってどこにでもある話じゃないと思うの」
平井は目を輝かせている。可愛いじゃねえか、この野郎。
「まぁな。俺の才能を持ってすれば、まだまだこんなもんじゃないだろうな」
「うん。本当にそう思うなぁ」
平井が相槌を打つ。あのぅ洒落なんですけども。
「うん?」
その時、七瀬の視界に何か映った。平井が「どうしたの?」と聞きながら七瀬の視線の先を見る。


-55-


男は冷淡な表情の恰幅の良い男を前にしていた。
「何とかなりそうなんですね?」
男は身を乗り出した。
「ああ」
男はそれを聞くと「恩に着ます、先輩」と言って、隣に座る女に目をやった。女は何の話だか全く理解していないようだ。彼女に分かっているのは、今から自分の身に何が起こるか、という現実だけだろう。そしてそういう現実を楽しんでいることも男は知っていた。こいつはこういう女なのだ。
「部屋は取ってあります」
男はホテルの名前と部屋番号が書かれた紙を目の前の男に差し出した。その時、目の前の男は初めて冷淡な表情を崩した。舐めるような目つきで女を見ている。これから先、この女がどんな目に合うかは知らないが、粘着質な要求を恥らいながらも受け入れているだろう姿が脳裏に浮かぶ。下半身が熱くなった。自分も近いうちにまたこの女を頂こう。
「それじゃ自分はこれで」
男が立ち上がろうとした刹那、背後から声がした。驚いて振り返る。
「おう。七瀬に平井じゃないか」
男は狼狽を表情に出さないように努めて冷静な声を発した。二人は不思議そうな目で自分を見ている。視線はテーブルの男女にも注がれる。
「何してるんですか?監督」
平井紗希の声がした。女は怯えた目で男を見る。
「立石?」
七瀬の声が遠く聞こえた。
スポンサーサイト

Posted on 2011/10/13 Thu. 16:09 [edit]

category: WEB小説

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://spiraljap.blog61.fc2.com/tb.php/51-6bc65d47
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

リンク


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。